障害と差別とは何か? 偏見の歴史と構造を理解し、「命の価値」をどう扱うべきかを考える

はじめに 優生思想と生命倫理から読み解く現代社会の課題

現代社会は「共生」「多様性」「インクルージョン」といった言葉が広がりつつあります。

しかし、障害のある人が日常生活で直面する差別や偏見は、決して過去の話ではありません。

むしろ、優生思想や生命倫理の問題が絡み合い、より複雑な課題として私たちの前に立ちはだかっています。

この記事では、

障害とは何か(医学モデル/社会モデル)

障害を持つ人が直面する差別の構造

優生思想が社会に残した影響

出生前診断や意思決定など生命倫理の視点からの考察

・これからの社会がどの方向へ進むべきか

を解説していきたいと思います。


「障害」とは何か? 医学モデルと社会モデルの違いを丁寧に理解する

障害という概念は、時代とともに大きく変化してきました。

かつて、障害は「個人の機能の問題」とされてきましたが、現代ではより広い視点で捉える必要があります。

医学モデル:障害を「個人の欠損」として見る考え方

医学モデルは、障害を「身体機能・知的機能・精神機能の損なわれた状態」と定義します。

・治療

・矯正

・リハビリ

・個人の努力

など、こうした解決策が中心で、本人の状態を正常に近づけることが大きな目標とされてきました。

利点:医療的介入が適切に進む

課題:社会的要因が無視されることがある


社会モデル:障害は「社会がつくりだす」という考え方

例えば、車いすを使う人が困る理由は「歩けないこと」ではなく、社会に段差が多いからです。

このように社会モデルは、

障害=個人 × 社会的障壁(バリア)

という構図で説明します。

バリアには以下があります。

・物理的バリア(段差、狭い通路、交通)

・情報バリア(文字情報のみ、字幕なし)

・心理的バリア(偏見、固定観念)

・制度的バリア(制度からの排除、不公平なルール)

世界的に見れば、社会モデルが主流になり、国連の「障害者権利条約」でもこの考えを基盤にしています。


障害と差別 ― 無意識の偏見から制度的不平等まで

障害がある人への差別は、露骨なものだけではありません。

むしろ、気づきにくい形で日々起きています。

無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)

悪意はなくても、以下のような思い込みが差別につながります。

「障害者=かわいそう」

「障害があるなら働けないだろう」

「意見を言えないはず」

「特別扱いは公平じゃない」

こうした偏見は、本人の可能性を奪い、支援を受ける権利社会参加の機会を縮小させてしまいます。


制度的差別(社会の仕組みによる差別)

次のような制度慣習にも差別が潜みます。

・同じ能力があっても採用で不利になる

・地域で利用できる支援サービスが限定されている

・障害者トイレ、スロープが不足している

・障害のある子どもの受け入れを学校がためらう

・本人の意思より家族、支援者の意思が優先される

これらは、個人の問題ではなく社会の構造が原因で生まれます。


優生思想と障害差別 ― 歴史の中で繰り返される「命の選別」

優生思想とは?

優生思想とは、

より優れた性質を持つ人を増やし、そうでない人を減らすべき

という考え方です。

→優生思想についての詳しい記事はこちら

一見すると科学的な議論に見えても、その裏には人の価値に優劣をつける危険性があります。

世界で広がった優生政策

20世紀前半、欧米を中心に多くの国で障害を理由とした隔離や不妊手術が行われました。

例:

・精神疾患や知的障害を理由にした強制不妊手術

・障害児の施設隔離 「劣った遺伝を断つ」という名目の法律

これらは大きな人権侵害であり、現在では批判されています。

日本の優生保護法の歴史

日本でも1948年〜1996年まで優生保護法のもとで、障害を理由に多数の強制不妊手術が行われました。

この歴史は、障害者差別の構造が制度として存在していたことを示しています。

現代に残る“新しい優生思想”

優生思想は形を変えて残っています。

・障害のある人生=不幸という思い込み

出生前診断を前提にした「命の選別」

・障害を“コスト”として扱う議論 、

・働けない人は価値が低いという空気

・SNS上の差別的な発言

優生思想は、社会の中に潜む価値の線引きによって再生産されます。


生命倫理の視点:私たちは「命」をどう扱うべきか

生命倫理は、医療・介護・法律・哲学が交差する領域で、人の生命に関わる重大な問いを扱います。

障害と差別優生思想の問題は、この生命倫理に深く関係します。

→生命倫理についての詳しい記事はこちら

出生前診断と優生思想の関係

技術が進み、胎児の段階で障害の可能性が高精度でわかるようになりました。

出生前診断は、

・親の不安を軽減する

・出生後の準備ができる

などの利点があります。

しかし同時に次の問題を呼び起こします。

・「障害があるなら産むべきではない」という社会的圧力

・障害のある人生の価値を低く見る風潮

・生まれてくる命を“条件付き”で捉える考え方

・技術が人の価値を選別する道具になり得る

出生前診断そのものに善悪はありません。問題はなぜ検査を受けるのかを社会がどう捉えるか です。

→出生前診断についての詳しい記事はこちら

障害のある人の「自己決定」と生命倫理

生命倫理で最も重視される原則は自己決定です。

しかし現実では、

・家族が本人の意見よりも先に決めてしまう

・「守る」という名目で選択の幅が奪われる

・支援者の価値観が意思決定に影響する

こうした場面が少なくありません。

生命倫理の視点から大切なのは、「障害があっても自分の人生は自分で選ぶ権利がある」という考え方を社会全体で守ることです。

障害者権利条約と生命倫理

国連の「障害者権利条約」は、障害は「個性の一部」であり、障害がある人も完全な権利の主体であると明確に示しています。

生命倫理と重なるポイントは、

・自己決定

・平等な社会参加

差別の禁止

・必要な配慮(合理的配慮)

これらが社会制度として確立していくことが求められます。


障害差別をなくすために私たちが今できること

大規模な制度改革だけでなく、一人ひとりの意識や行動の変化も非常に大きな力になります。

合理的配慮は「特別扱い」ではなく「当然の権利」

合理的配慮とは、その人が社会に参加するために必要なサポートを提供することです。

例:

・学校での個別配慮

・職場の柔軟な働き方

・メニューの点字や読み上げ

発達障害の特性に合わせた指示方法

社会全体で、合理的配慮を当たり前として理解することが重要です。

情報・教育のアップデート

社会が変わる大きな鍵は「教育」です。

・障害理解を深める教材

・多様性を尊重する授業

・子どもの頃からのインクルーシブな体験

若い世代ほど差別意識が少ないというデータもあり、教育の力は非常に大きいといえます。私がブログを書いているのもこういう願いがあるからです。

当事者の声を中心にする

政策や支援の設計は、当事者の意見なしには成り立ちません。

「何が困っているのか」

「どんな支援が必要か」

「何が差別につながるのか」

これらは、当事者自身の言葉からしか理解できません。

社会全体で“命の価値に線を引かない”文化を育てる

障害差別の根本には、

「生産性が高いほうが価値がある」

「働けるほうが社会に必要」

という価値観が深く関係しています。

私たちが向き合うべき問いは、

人の価値を何で決めるのか?

です。


おわりに ― 「違い」を認め合い、命に優劣をつけない社会へ

障害差別の問題は、歴史・社会・技術・価値観が複雑に絡み合う深いテーマです。

そして優生思想生命倫理の観点を踏まえることで、この問題の本質がより鮮明になります。

・命に優劣をつけないこと

障害のある人の可能性を奪わないこと

・社会がつくる障壁を取り除くこと。

・多様な価値観を尊重し、誰もが自分らしく生きられる環境を整えること

これらは、すべての人に関わる普遍的なテーマです。

差別のない社会は、「支援者」だけがつくるものではなく、一人ひとりの意識の積み重ねで実現していきます。

この記事が、障害・優生思想・生命倫理について考えるきっかけとなりより良い社会づくりの一歩につながることを願っています。