優生思想と相模原障害者施設殺傷事件 〜社会が向き合うべき「いのちの価値」と「見えにくい差別」〜

はじめに

2016年7月、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で起こった殺傷事件(相模原障害者施設殺傷事件)は、19名の尊い命が奪われ、26名以上が負傷した日本の戦後最悪の大量殺人事件として深く刻まれています。

しかし、この事件を「特異な犯人が起こした悲惨な事件」として片づけてしまうと、本質が見えなくなります。

事件の背後には、ある価値観が根強く存在していました。

それが、

優生思想(ゆうせいしそう)」

と呼ばれる、人間の命に優劣をつけようとする考え方です。

この記事では、

・優生思想とはどういうものか

・相模原事件では何が起きたのか

・なぜ優生思想が事件と結びついたのか

・現代の社会に潜む課題

・私たちにできることとは何か

についてをお話ししていきたいと思います。


優生思想とは

人間を「選別」しようとする考え方

優生思想とは、

人間を、「社会にとって価値のある人間」と「価値のない人間」

に分けようとする考え方です。

例えば、以下のような価値判断が含まれます。

・生産性が高い人は価値がある

・障害のある子どもは生まれないほうが社会にとって良い

・弱い人を減らせば社会は強くなる

こういった考えは、多様な人が尊重されるべき社会とは相反します。

歴史的には「科学」の名の下に広まった

優生思想は19世紀末〜20世紀に、「科学的」「合理的」と称して欧米を中心に広まりました。

日本でも例外ではなく、

障害のある人、精神疾患の人、貧困層などが「劣った存在」とみなされる風潮が生まれました。

日本での制度への影響

特に戦後の優生保護法により、

・障害、疾患があるとみなされた人への強制不妊手術

・施設への 隔離、長期収容

が長く続いていました。

今では重大な人権侵害として裁判や国の謝罪が進んでいますが、この価値観は社会の中に完全に消えたわけではありません。


相模原障害者施設殺傷事件とは

事件の概要

2016年7月26日未明、元職員の男が施設に侵入し、就寝中の入所者を次々に刃物で襲いました。

結果として、

19名が死亡 26名以上が重軽傷

生産活動の場ではなく、生活を支える福祉施設での事件であったことが、多くの人に大きな衝撃を与えました。

犯人の思想と主張

犯人は事件前から、

「重い障害者は不幸を生む」

「生きていても意味がない」

「安楽死させるべきだ」

という歪んだ意見を公言しており、国会議員に手紙を送ったことも確認されています。

そして、この価値観は、「ただの個人的偏見ではなく、優生思想と重なる部分が非常に多い」と、専門家は指摘しています。


優生思想と事件が結びついた理由

ここからは、事件と優生思想がどのように関連していたのかを、より深く掘り下げます。

① 「障害=価値が低い」という誤った価値基準

犯人の発言の根底には、

「障害がある=劣っている」

という思い込みがありました。

この考え方は本人の独自発想ではなく、社会の中にも存在してきた価値観とつながっています。

歴史的にも、

「障害者は保護すべき存在」

であると同時に、

「社会の負担」

と捉える視線は弱い形で残っていました。

② 施設という閉ざされた環境

・外から見えにくい

・利用者の声が届きにくい

・社会から隔離されがち

こうした環境は、利用者の人権尊厳が軽視されやすく、「ここにいる人たちは社会と切り離された存在」という認識を生む可能性があります。

犯人が排除すべき人たちと一方的に決めつけた背景には、「閉ざされた場にいる人=社会に属していない人」という危険な誤解があったと考えられます。

③ 社会に残る「生産性」中心の価値観

現代社会でも、

・生産性があるかどうか

・社会に貢献しているかどうか

で人の価値を判断しがちです。

しかし、この価値観が強まると、弱い人・支援を必要とする人の命が軽んじられる危険性があります。

優生思想は、過去の古い思想ではなく、

形を変えて現代の価値観に入り込みやすい

という点でも警戒が必要です。


事件から見えてきた社会の課題

相模原事件は、「個人の狂気」では説明できません。

社会構造・偏見・制度の課題が複雑に絡み合っていました。

①人の価値を「能力」で測る社会の危うさ

できること・できないことで人の価値を決めると、弱い立場の人の権利が失われていきます。

②「見えない場所」に人を押し込めるリスク

障害者施設などの閉鎖的環境は、

・人権侵害

・構造的な差別

外部からのチェック不足

といった問題が生まれやすく、再発防止のためにも重要な論点です。

③社会全体に残る偏見の存在

「障害=大変」「負担」というイメージが根強いと、差別意識が社会に潜在し続けてしまいます。

一見「自分には関係ない」と思う人でも、無意識の中に差別意識が入り込む可能性があります。


私たちにできること

事件を過去のものにせず、教訓として生かすためには、社会全体の姿勢が問われています。

みんなで向き合うこと

①多様な人が共に生活できる社会づくり

障害がある人・ない人が自然と関わり、互いを理解し合える地域環境が必要です。

②偏見を見直し、学ぶこと

優生思想や障害者差別の歴史を知ることは、誤った価値観が社会に根付かないための重要な一歩です。

③声を届けられる仕組みをつくる

「本人の意見」「家族の声」「支援者の気づき」が社会に反映される仕組みを強化することで、同じ悲劇を防ぐことができます。

④一人ひとりの尊厳を当たり前に尊重する

誰であっても、生きる権利尊重される権利があります。 その基本を守り続けることが、優生思想を乗り越える道です。

私が取り組んでいたこと

以前、私が勤めていた福祉施設ではInstagramを中心に日々の活動や日常を発信する活動を行なっていました。この広報活動を行なっていた主な理由の一つに、クローズド(閉鎖的)になりがちな福祉施設の特性を可能な範囲でオープンにしたいという想いがありました。

私は、福祉の仕事をするまでは、福祉施設や重い障害のある方と関わる機会はほとんどありませんでしたが、実際に働いてみて、この仕事にやりがい面白さを感じるようになりました。

「福祉・介護の仕事をしている」と知人に話すと、決まって「大変だね」と尊敬や労いの言葉をかけられることが多いのですが、私としてはそれ以上にモチベーションを感じながら仕事を続けることができていました。


おわりに

相模原障害者施設殺傷事件は、決して過去の悲劇ではありません。

人の命を「価値の大小」で分類しようとする優生思想は、今も社会の中に潜む危険性があります。

私たちに必要なのは、「どんな人も、生きる価値がある」という揺るぎない視点を持つことです。

そして、

・障害がある人

・弱い立場の人

・声を上げにくい人

こうした人たちの尊厳を守り、共に暮らす社会をつくっていく姿勢が何より大切です。

事件から学べることを一つでも多く社会に落とし込み、二度と同じ悲劇を繰り返さない未来をつくることが、今を生きる私たちの責任でもあると考えます。